今の日本は出来上がった国家?

最近、東京の街を歩いていたり、テレビを見ていたりしていると、オーバーにいえば息苦しい気分になる。あらゆることが複雑だ。
例えば、もう25年以上たつが、仕事でも遊びでもスクーターを利用している。数年前までは好きな場所で停めて買い物などしていた。もちろん通行などの邪魔にならないように気をつけていましたが。いまは交通監視員の方がちょっとでも停めると飛んでくる。厳しいのには理由があるのもわかる。でもね厳しすぎないかなと思う。人間の気楽さやいい加減さを完璧に排除したシステムは精神を知らずに病ませてると思う。
対人間の決まりごとには、その場の雰囲気で柔軟に対応するべきだと思う。
テレビを見ているとバラエティは明らかにスポンサーのヨイショが見ていてわかる。演出でごまかすなどしない。はっきりわからせる。これも今の広告手段だろう。
アイドルグループの売り方の方法もバレバレだ。これも解ってしまうのはいいのだろう。全てが悪い訳ではないけれど、作為的なことがあたりまえで正直清々しさが無い。私も純粋(?)な人間ではないので作為的が悪いとは思わない。
何が息苦しいかと言えば、そうゆう手段があたりまえだと胸を張っている風潮がなんともつかれる。それを仕掛けている人間の考え方が「それでいいの」と思ってしまう。
誰が悪いとかではない。そうゆう手段が必要な世の中になってしまったのだ。それがむなしい気分んだ。
東京電力の原発推進のテレビ等での広報は、まさに複雑すぎる裏事業をいかにもさわやかにオール電化を唄っていたし。今の広報や経済活動、インサーネット、SMSまだ今の人間がそれらを上手く使いこなすところまで順応出来ていないと思う。開発した人間、仕掛けている人間ですらもあっぷあっぷなのではと。
でもそれがいやなら現代生活を否定しないと行けない。否定するのはカッコイイと思う。むりならどうすればいいのだろうか。どうしたらいいのか分からないから私は息苦しいのだろう。
今の日本はあらゆる情報や宣伝など複雑きわまりない「出来上がった国家」だ。世界中もそうなっている。
それを堪能している人も必ずどこかで疲れているのはまちがいない。私がそうだから。
「三丁目の夕日」の映画がヒットした理由は、郷愁だけなのか。若い人は郷愁ではなく理想なのでは。
簡単な人間関係や世の中の仕組み、簡単でわかりやすいのだ。30年代は今ほど商品の種類も無いし、家電も多くない。テレビもすくないし、全てがあったらいいなの時代だ。未来を信じる楽しみがあった。
目標もはっきりしている。テレビがほしい。車がほしい。当時の世の中はどんどん元気になりたい上昇志向だ。
でもそこにもどったり、そこに理想を見つけるのはむずかしい。映画で満足するしか無いのだろう。

私は「三丁目の夕日」に出てくるような経営者やお店の販促デザインをしてみたい。広告は複雑ではない。「この商品はいいからたくさん売りたい」これがすべてだ。
単純な時代はとっくに過ぎ去ってしまった。
息苦しい気分はまだつづきそうだ。

これから梅雨です。そのまえに太陽でもどうですか。
イラストお使い下さい。
taiyou.jpg

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